知財の歴史

【特許の歴史】明治期の特許局~日本の特許行政の黎明期

えがちゃん

特許に関する行政を担う特許庁。今では、経済産業省の外局となっていますが、専売特許条例が公布された明治時代、どのような組織だったのでしょう?

初期には矢継ぎ早の組織変更があったようで、「専売特許所」「専売特許局」「特許局」など組織変更があり、当時の農商務省の内局だったり外局だったりと、いろいろ変遷しています。

今回は、特許制度が立ち上がった前後、特許局の設置に至るまでの状況を、公文書に基づいて見て行きましょう。

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商標登録所と専売特許所

歴史的には、1884年(明治17年)に設置された商標登録所、および1885年(明治18年)に設置された専売特許所に始まります。いずれも、高橋是清が所長を務めています。

国立公文書館では当時の公文書をデジタル化して保存しており、誰でも閲覧できます。商標登録所と専売特許所の設置に関する公文書を抜粋すると以下の通りです。

商標登録所の設置

六月九日
農商務省各局處務規定ニ商標登録所ヲ追加ス
  農商務省稟告
 當省各局處務規定第十二條工務局勸工課ノ次ヘ左
 之通追加候條此段及御届候也 十七年六月九日
   商標登録所
  商標登録所ノ事務ヲ掌理ス
  第一局副申
 別紙農商務省届同省各局處務規定中追加ノ件供高
 覧候也 十七年六月十七日

※参考:公文類聚第八編(明治十七年)
国立公文書館デジタルアーカイブより
https://www.digital.archives.go.jp/img/2499792

専売特許所の設置

四月十八日
農商務省工務局中専売特許所ヲ置ク
  農商務省稟告
 當省各局處務規程第十二條工務局勸工課の次ヘ左
 ノ通追加候條此段御届候也 十八年四月十八日
  専賣特許所
 専賣特許ノ事務ヲ掌理ス
  参事院副申
 別紙農商務省届同省工務局中ニ専賣特許所を置キ
 處務規程追加ノ件供高覧候也 十八年四月廿七日
               第一局歴査書記官長閲覧済

※参考:公文類聚第九編(明治十八年)
国立公文書館デジタルアーカイブより
https://www.digital.archives.go.jp/img/2456876

専売特許局の設置

そして、1886年(明治19年)には商標登録所と専売特許所が統合されて専売特許局となり、これが本格的な特許行政の始まりとなります。

専売特許局の設置

二月廿六日
農商務省ノ局課ヲ定ム
  勅令第ニ号農商務省官制節録
 (略)
 第八條 農商務省中左ノ諸局を置ク
    農務局
    商務局
    工務局
    水産局
    山林局
    地質局
    鉱山局
    専賣特許局
    會計局
 (略)

※参考:公文類聚第十編(明治十九年)
国立公文書館デジタルアーカイブより
https://www.digital.archives.go.jp/img/2457939

特許局への改組

翌1887年(明治20年)には早くも改組され、農商務省の内局であった専売特許局が、外局として独立した特許局となります。当時の明治政府における決裁権限は確認していませんが、この組織変更については天皇陛下の裁可を受けて公布されています。

特許局への改組

朕農商務省専賣特許局ヲ廃シ更に特許局ヲ置キ其
官制ヲ裁可シ並ニ之ヲ公布セシム
  御名 御璽
明治二十年十二月十五日
                  内閣総理大臣名
                  農商務大臣名

※参考:公文類聚第十編(明治二十年)
国立公文書館デジタルアーカイブより
https://www.digital.archives.go.jp/img/1699978

矢継ぎ早な組織変更の理由についても、公文書に「理由書」として相当に長い説明が付属されています。要するに、想定外に膨大な事務量となってしまったことに対して、専門部局を設けなければどうにもならなくなった、という事情があった模様です。

そのあたりの事情に関しては、明治20年12月29日の「郵便報知」という新聞に以下の記事があります。(「明治ニュース辞典」第3巻、629頁、毎日コミュニケーションズ発行を参照)

特許局の設置に関する新聞記事

特許局新設、局長に高橋是清(明治20年12月29日、郵便報知)
「昨今の公報欄内にあるがごとく、今度農商務省専売特許局を廃し、更に特許局を置き、それぞれ官制を定めしが、聞く所によれば、人民より特許願いを差し出し、もし特許せられざる時は、そのせられざる理由を質問することを得る手筈にて、かかる場合には、審判官が特許法に関する書籍等に就きて、その理由を説明する由。これらの書籍は、旧同局長高橋氏が欧洲巡廻中、各国の専売特許院に就きて、新古のあらゆる書籍を買い置きたるにより、追々外国より到着するを以って、書籍陳列所を設くるはずなり。」

この記事には以降、この書籍陳列所を鹿鳴館の最寄りに設けること、それは二階建てで建設予算は二万円ほどであること、建築局のお雇いドイツ人が設計すること、局長や局員の人事発令などが掲載されています。

この記事から、今でいう拒絶理由通知や無効審判などの仕組みも初期から設けられていたことが分かります。ただし、その判断基準は外国からかき集めた書籍に基づくなど、まだまだ法律や審査基準などの整備は途上であったのではないかということが、この記事から推察されます。

当時の高橋是清をはじめとする明治政府の面々は、外国の特許事情を視察したり、特許関連の書物を取り寄せたりと、日本の特許制度を確立するのに相当に意欲的に行動していたことが窺えます。新たな国家を確立しようという若々しい息吹が感じられ、興味深いですね。

以上、今回は明治時代における特許局の設置についてご紹介しました。

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えがちゃん
「ゆめ知財」の主宰者
「さきよみBENRISHI」のえがちゃんです! 知財系プログラマー、知財系ライター、知財系プランナー、知財系コンサルタントなど、多様な顔を持ちながら活動中! 知財を通じて、中小支援、産学連携、地方創生など、様々な人々や組織を繋いで、夢が広がる社会の創造に邁進しています! 30年余のメーカー勤務も経験。組織に所属すれば避けられない不満や悩み事も、気軽にアレコレ話ながら、一緒に解決していきましょう!
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