前回は「鉄筋コンクリートは会社組織に似てる?」という与太ばなし(?)を書きましたが、ついでに同じような話を。
今度は樹木になぞらえて。このブログではあまり触れてませんが、勤務先では森林に関わる仕事をしていることもあり・・・
樹木の組織構造
筆者は化学系の出身で、知財は専門ですが、樹木や森林はド素人。あくまで「森林再生で未来社会を夢見る」タダのおっちゃんです。
なので、以下は、お付き合いしている樹木や森林の専門家からの”受け売り”です。
樹木の組織構造は、とても複雑なのですが、よく以下のような模式図で説明されます。(なるべく分かり易いよう、ぎりぎり間違ってないくらいのレベルまで簡略化してますので、ご容赦を・・・)
この右端の図は、前回の記事でも使った「鉄筋コンクリート」の模式図です。「なぜ鉄筋コンクリート?」と思われるかも知れませんが、似たところがあるためです。
樹木を細かく分解していくと、最後は、セルロース、ヘミセルロース、リグニンと、大きく3種類の成分に行き着きます。(樹木には他にも成分がありますが、9割方はこの3種類と言えます。)
この内、セルロースは主筋、ヘミセルロースは帯筋、リグニンはコンクリートに例えられます。役割も性質も、鉄筋コンクリートの各構成に割と近く、およそ以下の通りです。
- セルロース(主筋):直線的で剛直な分子構造により、樹木が曲がったり引っ張られたりする力に耐える
- ヘミセルロース(帯筋):分岐を持つ柔軟な分子構造により、セルロースとリグニンを巧みに繋ぎつつ、樹木を補強する
- リグニン(コンクリート):網目状で硬い性質により、セルロースやヘミセルロースを覆い、樹木を過酷な外部環境から守る
鉄筋コンクリートと樹木の違い
鉄筋コンクリートとの大きな違いは、このセルロース、ヘミセルロース、リグニンによる構造が、目に見えないくらいミクロなことです。
そして、鉄筋コンクリートと大きく異なる点は、このミクロ構造が繊維状となって束になり、それらが樹木の細胞(主に細胞壁)を構成し、それらが集まって木目を形成しています。雑な説明ですが、ザッとそんな感じです。
つまり、鉄筋コンクリートの主筋・帯筋・コンクリートという構成が、樹木だとさらに束になって層になっている。鉄筋コンクリートでは色々な材料を集めて固めてが必要だが、樹木だと一本だけで立派に柱になる。これが樹木の強さの秘訣と言えます。
樹木は社会の構造と似ている?
樹木の束になって層になっているという構造は、社会の構造に似ている気がします。
樹木と鉄筋コンクリートが決定的に異なる点は、樹木は生きて成長しているということです。
セルロース(主筋)・ヘミセルロース(帯筋)・リグニン(コンクリート)という基本構成のそれぞれは、永遠の存在ではなく、物理的・化学的に破壊されたり分解したりします。それらが束になった繊維も切れたりほどけたりしますし、それらが層になった細胞も腐食したりして、いずれは寿命が来ます。
しかし樹木は、水や栄養素を取り込み、様々な生物的・化学的作用によって、新たにセルロース・ヘミセルロース・リグニンを生成し、繊維をつくり、細胞をつくって、寿命が来た部分を補って新陳代謝を続け、さらに太く高く成長していきます。
それは、樹木を構成する各組織の共同作業と言えます。現在、共創とかオープンイノベーションとか言われますが、社会の構造とはそもそも、お互いに関連しあいながら新陳代謝して成長を続けるものなのだと思います。
森林再生から未来社会へ向かうに当たって・・・
筆者は今、「森林再生から未来社会へ」というテーマに取り組んでいます。もともと、勤務先の新規事業を考える仕事から始まりましたが、次第に、これは自社のことだけ考えていても駄目だ、と思うようになりました。
森林資源から末端商品になり、そして再び自然に還るまで、すべてが一連の流れとなり、各過程が絶妙なバランスを保つ。これは、SDGsとか循環型社会とかいう、ある種の綺麗事ではなく、そうしなければ自然だけでなく経済を含む生態系全体が生き残っていけない、どちらかと言えば「厳しい現実」だと思うからです。
特に、お金を回すことが重要。サプライチェーンの一部だけが潤い、一部だけが苦しむ構造ではダメ。新規事業も下手な商品開発をすれば、偏った資源利用と資金循環に陥ってしまう。補助金も誤ったところに投入しては、還ってこの自然や経済のサイクルを破壊してしまう。
これは、自社の枠を超えて考えねばならない問題ですが、普通、そんなことを本気で考える会社は無いので、とても難しい問題です。幸い、筆者の勤務先はそれを本気で考え出そうとしていますが、ひとつの会社だけではどうにもならない問題でもあります。
お金を回すところに、なんらか知財の仕組みを活用できないかなど、日々思案しています。みんながひとつの樹木となるにはどうするか・・・? 50歳半ばにして、難問にチャレンジしている次第です。