新たな技術を手にしたとき、その使い道が問題になります。
その技術でもって提供するのが、「商品」なのか「サービス」なのかで、研究開発の方向性が相当に異なる、と感じることが多々あります。
技術を利用する方向性~「商品」から「サービス」へ
例えば、自動車の生産技術を開発したら、自動車という商品を製造販売する、というのが普通の考えかと思います。
しかし最近、生産技術を誇る名だたる自動車メーカーが、自動車を”作る”から”使う”にシフトするという、大きな変化が生まれています。
例えば、トヨタは「TOYOTA SHARE」というカーシェアリングを始めており、自動車を”商品”でなく”サービス”に利用、といった動きに出ています。宣伝文句の中でも、”保有”から”利活用”へ、ということを謳っています。
先に「研究開発の落とし穴(1)~『技術』と『商品』の違い」という記事で紹介した「不純物を除去するフィルター」の仮想事例で言うと、フィルターの製造技術を、「フィルター」という”商品”か、「不純物除去事業」という”サービス”、どちらの使い道を選ぶか、という話になります。
これは、「市場や顧客が求めることは、究極的には何なのか?」という、”本質”をどう捉えるか、という話かと思います。
トヨタの例でいうと、市場や顧客が「自動車を”持つ”喜び」よりも「自動車で”移動する”利便」に注目し出した、という時代の変化があると思われます。
研究開発を始めるにあたって、最初にこれを考えておかないと、研究開発の方向がトンチンカンになる、と感じることが多々あります。
「モノ」づくりが重視された時代
戦後復興から高度成長の時代、モノを”持つ”ことの意義は、今の時代で想像する以上に大きかったと思われます。
筆者の親もその時代を担った世代で、物資が徹底的に不足していた幼年期・少年期から、ものが豊かに手に入り出した青年期・壮年期へと、大きな変化を経験しています。
筆者の親は昭和30年代、サラリーマンを経て自ら起業したのですが、当時の話を聞くと、「独立を目指すのが当たり前で、それがリスクなんて言う雰囲気は全く無かった。」と言います。
当時、ソニー、シャープ、松下(現パナソニック)などは、すでにそこそこ大きな会社だったようですが、まだ創業者が生きていて、ベンチャー精神がまだ息づいていたようです。
筆者自身も、親が仕事に奔走するのを見ながら、”モノづくり日本”が形成されていく様子を、子供なりに感じてはいました。
日本は、そうした時代背景を経て、曲がりなりにも先進国の仲間入りをしました。そうして、「モノを持つ」すなわち「幸せ」、という図式が出来上がったのかな、と思われます。
「コト」づくりの時代へ
しかし、そうした日本の”成功体験”が、ここに至って、逆に足を引っ張ってしまうという、時代変化が起きていると思われます。
人々は豊かになり、モノは溢れかえり、逆に「断捨離」なんていうことが流行るなど、時代は明らかに変わっています。
「モノ」を持つことは豊かさの指標ではなくなり、どれだけ利便性が高いか、どれだけ幸せを感じられるかという、いわゆる「コト」の価値を重視する時代へと、明らかに変わってきたと言えます。
それが、トヨタで言う「カーシェアリング」に進出せざるを得ない理由になっていると思われます。トヨタなりの「コト」づくりへの挑戦、そこへの苦難の船出とも言えるかと思います。
研究開発によって得た技術を、単純に「モノ」に転化させて済む時代は過ぎ去り、どのような「コト」に仕上げるか、それを如何に市場や顧客の価値観にマッチさせるか。それを明らかにするのも、IPランドスケープの仕事のひとつだと、筆者は思う次第です。